【終】対面人狼からネットの長期人狼にハマった話⑦
人狼が人狼であるために。
人狼が好きと言う割に、私は人狼の動画は観たことがなくて、劇場で行われる人狼も観にいくことがありません。人狼カフェにも行ったことない。
人狼BBSや人狼オンラインX以外の場所でゲームしたこともないんですよね。
誰か誘ってくれたらとも思いますが、そういうお友達がいないし、そもそも私が保守的なのかも。
昨日は友人と家で飲んでた時に、
友「最近のSNSに染まった奴らをみてるとさ、分かり易いキャラクターや、明るくて傷つけにくいキャラをアイコン的に演じて振る舞う奴が売れてるじゃん。でもそれって互いの傷を見せないように自分の身を守っているだけで、それが善い人間性として肯定されている今の社会を好きになれない」
って呟いてて、いやその概念の塊みたいなんが今あんたの目の前にいる私やでごめんと、心の中で静かにツッコミ謝っておきました。
いや私は有名人でもなんでもないんですけど、友人の言うことが妙に私の心をタッチしたのです。
人狼も人生もシンプルイズベストだと思っていますが、実際のところその裏ではじーっと我慢しているもの、見て見ぬふりがされているのは折り込み済みな訳で、その「みて見ぬふりスキル」って、人によって結構違うと思うのです。
要は「メタ」の扱い方ってすげー難しい。
私はポムポムプリンが好きなのですが、ポムポムプリンの着ぐるみが目の前に現れたら、触りにはいきますがハグはできません。どうしても「中の人」を想像してしまうのです。
ポムポムプリンと言う概念をクッションにすれば顔も知らぬ人と関節ハグしても良いだなんて、なんだか落ち着かない…許されるのであれば着ぐるみを脱いでもらって、まず抜け殻をハグして、次に中の人ともハグして、再び着ぐるみを着てもらってから改めてハグしたい。
名古屋のひつまぶしの食べ方みたいな感じ。
ふなっしーなんかを見ているともう中の人の正体が気になりすぎて、キャラクターに全く集中できません。
いや違う、メタの話をしたかったのです。
人狼でいうメタは、例えば「戦歴」「村人CO」「システムコピペ」「中の人予想」「リアル都合」「感情的発言」などが挙げられます。
例えば誰かが「人狼は初めてです〜」と言った時に(初めてってことは奇策は打ってこないな)とか、(初めてにしては発言が上級者すぎるから嘘つきだ)とか、それ以降どんな発言をしても「人狼が初めてである」という強すぎる要素を軸に推理するしかなくなってしまう恐れがあります。
別にそれくらい良くね?とも思いますよね。
個人的な体感でしかないのですが、ネットの人狼では「噛み」「吊り」「占判定」「霊判定」「ゲームが続いている」この5つのみが変更の効かない絶対的な事実として推理に加えられることが許され、それ以外は「事実"と仮定した出来事"」として、推理材料に使用されています。
「人狼が初めてである」という発言は、許される事実以外に該当する変更不可能な事実「中の人予想」であり、ゲーム内で見て見ぬふりをしている事実に干渉する要素のため、良くないメタとして認知されていると感じます。
メタ問題には明快な正解がないのでとても難しいですが、推理を楽しむことに重きを置くプレイヤーにとっては大問題です。
人狼BBSのメタ問題の項目も、かなり苦労した跡が伺えます。
私自身、感情から推理を進めるのが好きなので、そこ禁止されたら人狼できない…。
「楽しければいいじゃん」
「勝てばいいじゃん」
ここに徹することができれば何も問題ないのですが、「どのような過程を経たか」というのも大切にしたいですよね。
これって各プレイヤーの人生観がなんとなく透けて見えるようで、個人的には面白いです。
くそ真面目っぽいこと書いてしまった。
メタって厄介なんですけど、憎めない魅力があるんですよね。
だって、そこには真実があって、謎でいっぱいの水槽の中に一滴垂らせばたちまち色を変えるような力を持っているし、大好きな仲間プレイヤーの真の姿がチラッと見えるような気がして、ジブリの映画みたいでドラマチックじゃないすか。
人狼って難しくて大好き。